夏目漱石の著書の中には、たびたび鰻屋が登場する。

或る人に奴鰻を奢ったら、御蔭様で始めて旨い鰻を食べましてと礼を云った(虞美人草)

時に叔父さんどうです、久し振りで東京の鰻でも食つちやあ。竹葉でもおごりませう(吾輩は猫である)

漱石さん、生家近くの『すず金』で鰻を食べたといわれる。しかし、大病を患って以降はそうもいかなかったらしく、大量吐血で入院中に見舞いに来た門弟だけに鰻丼を振舞ったという記録が残っている。

漱石門下の内田百閒は、大の鰻好きとして有名で27日間鰻を食べ続けたという話も伝わる。

やはり漱石門下の芥川龍之介の葬儀で弔辞を読んだのが菊池寛。
菊池寛の書が掲げられている鰻店が小田原にある『柏又(かしまた)』

明治初期の創業というから140年余の歴史がある。

菊池寛の書

政治家では近衛文麿の書や福田赳夫の色紙、初代貴乃花の手形も掲げられており、多くの著名人が訪れたようだ。そのため、「うなぎ大好き」開設当時(2004年)は、小田原で最も評判の高い鰻店であった。

名古屋から藤沢へ向かう途中、新幹線と在来線の乗り換え駅である小田原でちょうど昼時になった。
十数年の思いを果たすべく、小田原で下車して向かうことにした。

小田原駅東口を出て、江戸末期創業の老舗鰻店『松琴楼』の前を過ぎるとお堀端に出て小田原城の天守閣が見える。

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お堀端の道が東海道へ突き当たる手前を左に曲がる。
電柱に『柏又』はこの先とある。
この道は「新道」というようだ。説明文にはこうある。

小田原城三の丸堀沿いの道で、文化14年(1817)小田原の大火のとき逃げ道がなくて多数の焼死者が出たことから新たに造られたので新道といった。
西の出口は箱根口へ、東は宮前町高札場(こうさつば・幕府の法令などを掲示する場所)の北側に通じている。

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城下町の歴史を感じつつ、歩を進めると、うなぎの看板と歴史を感じさせる建物が姿を現す。

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老舗で見かける料亭と食堂とに分かれている設えのようだ。

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宴席やコース料理を頼むわけではないので迷わず食堂の中へ入る。

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食堂へ入ると手前側にテーブル席、

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奥には座敷がある。

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見るからにベテランの給仕の女性が丁寧な接客でもてなしてくれる。
和服に着替えれば、老舗料亭の仲居頭然とした雰囲気である。

テーブルにはメニューはなく、壁の品書きから選ぶという。

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うな重は4ランクに分かれている。
鰻の大きさによる違いというが、詳しい目方はわからないとのこと。
最安価の〈上重〉でも十分な大きさがあるというので〈上重〉とこちらの名物〈トマトサラダ〉をお願いする。

5分ほどで〈トマトサラダ〉が運ばれる。
自家製のマヨネーズドレッシングがまるのトマトを包んでいる。

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箸を入れると中には蒸し鶏が詰まっている。
ドレッシングはまろやか調味だが、蒸し鶏の塩味、トマトの酸味と出会うと明脇役なのが実感できる。
レタスもちょうどよい箸休めの存在感がある。

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蒸し鶏はいろいろな部位を使ってあり、食感のバリエーションも楽しめる。
料亭の看板には「鰻蒲焼・鳥料理」とあり、鳥料理が看板なのがこれひとつで納得できる。
しかも〈トマトサラダ〉は、昭和初期からだというので恐れ入る。

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〈トマトサラダ〉を食べ終えるころ、給仕さんが
「間もなく、鰻も出来上がりますよ。出来上がったらすぐにお持ちしてよろしいですか?」
憎いタイミングで声をかけて行く。

間もなく〈上重〉が到着する。

開けてびっくり!重箱いっぱいの鰻様がいらっしゃる。
大きさ、厚みとも十分だ。

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焼きをやや強めしたふわとろ鰻である。
タレはキリッとしたあっさり系と感じる。
鰻の味が感じられて、ちょうどよい。
足りないと感じれば、テーブルにタレが置いてあるので追加が可能だ。

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おわんの吸地はやや醤油の風味が多めに感じる。
吸口に生姜が入っているのも特徴がある。
確認はしていないが、天然鰻が主流だった創業時からの伝統なのかもしれない。

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給仕さんにうな重は量的に十分でとても美味しかったことを伝えると
「トマトサラダを召し上がっているのでちょうど良かったかもしれませんね。今度いらしたら松重を召し上がってください。」
と微笑む。

最高価の〈松重〉は、重箱も大きくなり、大振りで肉厚な鰻が楽しめるという。

腹を空かせて小田原まで来て〈松重〉を食すか、はたまた美味いと評判の焼鳥、もつ焼で一献傾けて〈上重〉で〆るか、嬉しい思案がまた増えたようだ。

 

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