『博多名代 吉塚うなぎ屋』は、明治6年(1873年)に初代・徳安新助が鰻料理の専門店として、福岡市吉塚にて創業したそうです。
その後、現在の中洲、博多川の畔に移ったということです。
ちょうど博多川の向こうには、博多祇園山笠で有名な『櫛田神社』が鎮座しています。
博多っ子を熱くさせるのは、祇園山笠と吉塚のうなぎと言ったら言い過ぎでしょうか。
ともあれ、吉塚には多くのファンが存在していて、有名どころではお笑いの大御所・タモリさんがあげれます。
雨の平日ですが、開店時間を待っていたかのように続々と暖簾をくぐる人がいます。
予約のあるお客は3階へ案内されて、フリーのお客は2階の入口で発券機で整理券を受け取って順番を待つことになります。
今回の私のように席が空いていれば、スタッフが席に案内してくれます。
一人でしたので壁側のカウンター席に案内されて、着席します。
置物は、クリスマス仕様になっています。トナカイのソリに乗ったプレゼントの包み紙は吉塚の包装紙というのはウイットがきいてますね。
席に着くとお茶とおしぼり、メニューにお新香が運ばれてきます。
吉塚もご飯の上に蒲焼を乗せたものが〈うな丼〉、蒲焼とご飯が別々に提供されるのが〈うな重〉となっています。
メニューのランクは、蒲焼の枚数でとてもわかり易いのです。
今回は蒲焼4枚の〈うな重〉をチョイスしました。それに〈うざく〉もお願いしました。
うざく吉塚のうざくは蒲焼です。蒲焼2枚に胡瓜とわかめ、糸切り唐辛子をあしらっています。
土佐酢と蒲焼タレが合わさって円やかなうざくです。そこに唐辛子のピリっとが良い仕事をしています。
ほんのり甘めのタレお重が来る前に「塚」の文字が入った小皿でタレが運ばれてきます。
吉塚うなぎ屋のタレは、ほんのり甘めです。
タレが甘めなのは地元の厳選した醤油を使っているからだと思います。
福岡の醤油作りは、火入れした後にブレンドするそうです。
その際に甘みを足すので塩分が下がり、甘くまろやかな醤油が出来るという訳です。
しかも福岡には醤油メーカーが100社以上もあり、家庭ごとに好みのメーカーが決まっていると福岡出身の友人に聞いたことがあります。
うな重
吉塚うなぎ屋の蒲焼は、「こなし」という技法を使って焼きます。
以前、吉塚うなぎ屋で修行した職人さんに「こなし」を見せていただきましたが、鉄串を打ったうなぎを持ち、踊るように焼いていきます。
あたかも大道芸の南京玉すだれを見ているようだった記憶があります。
地焼きの良さを失わずに皮目まで柔らかいのは「こなし」の技法のためでしょう。
蒲焼は、彼のほんのり甘めのタレが纏っています。
吉塚うなぎ屋の創業当時は、まだうなぎの養殖が始まっておらず、うなぎは天然物です。
当時、高級品だった醤油に貴重な砂糖が入れたタレを纏わせて、柔らかく焼き上げた蒲焼を出すのは、おもてなしの心の表れだったのでしょう。
蒲焼に小皿のタレをたっぷりつけます。
そして、ご飯の上に乗せてうな丼風にしていただきます。
うなぎの脂とタレがしみたご飯と一緒に食べると幸せな気分になるのです。
最期の1切れは、山椒のふっていただきます。
本来、山椒はかけない派ですが、ほんのり甘めな蒲焼には山椒の香りとピリッとくる辛さがよく合います。
2階の正面には、北九州市出身の作家・火野葦平の書画が飾られています。
河童を愛していたと有名な火野葦平の作品が素敵なので、近くにいた女性スタッフに断って写真を撮らせてもらいました。
博多名代のうなぎ、鰻喫致しました。
ご馳走さまでした。
お会計は、先ほどの若い女性スタッフでした。
彼女は「裏に先ほどの絵が印刷してありますので、どうぞお持ちになってください。」と吉塚うなぎ屋の名刺を渡してくれました。
細やかな心遣いに、隅々まで行き届いてる老舗のおもてなしの心を感じました。
外に出るとまだ雨は降り続いています。
しかし、中州に降る雨は温かくなっている気がしました。