日本橋小舟町は、江戸初期からの町で、江戸の湊口への物資輸送に大いに利用されたため、小舟町西の河岸を小舟河岸とか鰹河岸と呼び、かなり重要な役割を果していたようです。
こうして古くから続いて来た町でしたが、日本のメガバンクの一つ、みずほファイネンシャルグループの創始者、安田善次郎が鰹節問屋兼両替商を創業したのも日本橋小舟町でした。
日本橋小舟町には馴染みがなくとも浅草の観音様へ行ったことがある人は多いと思う。雷門をくぐり仲見世を進み、伝法院通りと交わった先に大きな門(宝蔵門)に「小舟町」と書かれた大提灯の記憶があるのではないでしょうか?日本橋魚河岸の信徒が信仰の証として奉納したのが始まりだといわれているのです。
創業1875年(明治8年)の創業後すぐにこの地へ移転して歴史を刻む老舗鰻専門店『高嶋家』がある。
銀座線・半蔵門線「三越前駅」、日比谷線・都営浅草線「人形町駅」、日比谷線「小伝馬町駅」、JR総武快速線「新日本橋駅」いずれの駅からも徒歩5分程度。
三越前駅A4出口を出て東へ進み、昭和通り「本町二丁目交差点」をさらに直進して、しばらく進むと「うなぎ」と書かれたノボリが見える。
その角を右に曲がるとすぐ「高嶋家」の看板が目に入る。
威圧感のない玄関は入り易い印象。
さりげない装飾が粋で老舗を思わせる。
昼時とあって、テーブル席は埋まっており、小上がり席の座卓が1つだけ空いていた。
お願いしたのは一番小さな「鰻重箱 松」と別注の「赤だし」
まず、お新香とほうじ茶が運ばれる。
ほうじ茶の香りがホッとする。刺激が少なく胃にやさしいので、食中茶としてほうじ茶は京都の料亭でも提供される。
20分ほど到着。
大ぶりの鰻様が半尾のっていらっしゃる。
この日は、西三河産の3Pということだ。
老舗が格式に拘らず、太物を使うことで資源問題を喚起している気がする。
『高嶋家』の「鰻重箱」は、他に「梅」「菊」があり、「菊」はブランド鰻の「共水うなぎ」を使用している。
その時々で使い分けられる融通性も兼ね備えている。
お新香まで綺麗に食べ終わると屋号がさりげなく顔を出す。
器にまで来店の謝辞を言われている気になる。
こちらは、ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の弟である溥傑が好んだ店として知られる。
詳しくは、別の項でご紹介したい。