茨城県水戸市にある「ぬりや泉町店」は、うなぎ屋さんの多い水戸市でも繁盛店のひとつで、昼時には行列も出来るほどです。そのお店から2006年3月26日午後1時25分ごろ出火、木造2階建ての店舗を全焼してしまいました。
そしてその4ヶ月と少しが経った8月1日には同じ場所に外観、内装とも火災以前と瓜二つの新店舗を再建して営業を再開したのです。計画的な建て替えでももっと時間を要したり、以前とは改善したいと思う箇所に手を加えたりするはずです。火災という人災からきわめて短期間に、奇跡とも言える再建がなった理由を知りたくて「ぬりや泉町大通り」の広瀬勇人店長にお話を伺いました。
2006年 3月27日付の新聞記事
26日午後1時25分ごろ、水戸市泉町3丁目のウナギ店「ぬりや泉町店」から出火、木造2階建て店舗約200平方メートルをほぼ全焼した。当時、店内には客約60人と店員9人がいたが、全員逃げて無事だった。
水戸署の調べでは、店長(38)が1階南側の調理場で、調理中のウナギの焼き台から火が上がっているのを見つけ、119番通報した。
現場は国道50号沿い。消火活動で交通規制がしかれ、渋滞と見物人で一時騒然となった。近くの商店の女性(67)は「真っ黒な煙で何も見えなくなった。けが人がなくてよかった」と話した。
2006年 8月 2日付の新聞記事
今年3月に火事で全焼した水戸市泉町3の老舗うなぎ店「ぬりや泉町店」が、大勢の客に後押しされ、1日から営業を始めた。同店は65年創業。店長の広瀬勇人さん(38)は再開をあきらめかけたが、「あの味を消しちゃいけない」と再起を望む手紙が多数寄せられ、「励ましや期待に応えるため、うなぎを焼く」と立ち上がった。
3月26日午後1時半ごろ、調理場で盛り付けをしていた広瀬さんが、「店長!」と呼ぶ声に振り返ると、うなぎを焼く機械から炎が上がっていた。けが人はなかったが、約200平方メートルの店舗は全焼した。
「おれはもう店をやっちゃいけないんじゃないか」。広瀬さんは黒焦げになった店内を見て思ったが、数日後、常連客らから手紙が届き始めた。「ここが頑張りどころだ」「あの味を消しちゃいけない。楽しみにしている人を忘れないでほしい」。涙がこぼれた。集まった手紙は約70通。「たくさんのお客さんから手紙をもらい、店の再開の準備を始めてからは通りすがりの人が『いつ始まるの』と声を掛けてくれた。ほとんどの従業員が店が再開すると信じ、生活は大変だったろうが転職せずに4カ月も待っていてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ」。広瀬さんはあきらめかけていた店の再開を決意した。
新店舗では座席や壁紙などの内装を、火事の前とほぼ同じに仕上げた。月に1、2回は同店に通っていたという近くの自営業、石川米子さん(72)は「待ち遠しかったですね。もっと早く再開してほしかったかな。早く、あのホカホカのうなぎを食べたいですね」と喜んだ。
こんなに幸せでいいのか?
わざわざ中休みの時間を割いて頂き、「ぬりや泉町店」の店長・広瀬勇人さんにお話を聞くことが出来ました。
まず、昨年3月の火災のお見舞いと8月の再オープンのお祝いを申し上げると、「誤解されると困るんですけれど…。」と言いながら「本当にこんなに幸せでいいのかと思うんです。」と広瀬店長。
でも、この気持ちが正直な気持ちなのだそうです。
普通、ご自身の過失で火事を出しておきながら”幸せ”などという言葉を使うのは不謹慎の誹を受けるでしょう。しかし、そういわねばならないほどこのお店の再建は色々な方のご尽力があってのこと、その奇跡的な状態に身に余るということを広瀬店長はこう表現しているのです。
「私は無信心です。」と広瀬店長は頭を掻いていましたが、目に見えない何か大きな力が働き、自分が店を再建したいという願望以前に再建を前提にいろいろなものが動き出していたのだそうです。その中には、ご自分は病床になりながら再建のご尽力に当たっていただいた方もいるそうです。そのことを後で知った広瀬店長は有難さで全身が震えたそうです。
自分の力だけではないことを知り、生かされていることを体感した広瀬店長はこう言い切りました。「ご恩返しは美味しい鰻を焼き続けることです。それしか私には出来ません。」
向上心ゆえの悲劇
広瀬店長は、お客様の目の前にお出しし、食べて頂いたときが勝負だと言い切ります。その過程で先達たちが培ってきたことさえも問い直し、美味しいものを求め続けてきたのだそうです。そのために自称、鰻料理研究所なるものがあったそうです。(火災以降は倉庫にしているそうですが・・・)うな重にとって脇役のお米さえも色々な産地のものを試し、炊き方も色々試したそうです。ですから鰻自体は推して知るべしです。
鰻の焼き方ももちろん色々試したそうです。群馬に魚焼きグリルを手作りしている方がいると聞き、自分のニーズに合うものか見に行ったそうです。
そして、それをヒントに自分で図面を引き、その時点で理想の鰻焼き機を作ってもらったそうです。その鰻焼き機に掃除の出来ない死角の部分があって脂が溜まり、そこに引火したのが火災の原因だそうです。正に向上心が引き起こした悲劇といえるでしょう。
火災以降もお客様に美味しいものを食べて頂きたい気持ちに変わりはないそうですが、以前は知らず知らずに「美味しい」と言わせてやろうという気持ちが潜んでいたかもしれないと反省しているそうです。
うなぎ大好きの呟き
私は、理由はわかりませんが、常々「自分は生きているのではなく、生かされている。 」ということを感じています。 私はもちろん宗教家でも自己啓発セミナーの講師でもありません。うなぎ屋さんに限らず、活き活きしている人に話を聞くと同じような感覚があることに驚かされます。今回、「ぬりや泉町大通り」の広瀬勇人店長にお話を聞いて改めてその思いを強くしました。
昨今の心を痛める事件も「生かされている」「有難い」の気持ちがあれば少なくなるような気がしてなりません。料理する方の”気”が作った食べ物にも篭もると思います。広瀬店長の作った鰻には感謝の気がきっと篭もっていますよ。