JR埼京線・板橋駅周辺は、板橋区、豊島区、北区の境が入り組んでいる。
その理由は旧加賀藩江戸下屋敷跡が区境になったかららしい。
板橋駅東口は別名・滝野川口というように出口を出ると北区滝野川になる。
東口ロータリーの向こうには新選組隊長・近藤勇の墓所がある。
流山で捕縛された近藤勇は、この付近にあった板橋刑場で斬首された。その霊を弔うため、新選組の生き残りであった永倉新八が斬首刑の後に胴体を埋めたとされる場所に供養塔を建てた。それが板橋駅前の近藤勇墓所なのだそうだ。
今日は何故、板橋駅に降りたかというと、先日旧中山道を散策していて見つけた昭和の匂いがするレトロなうなぎ屋さんを訪問するためである。場所は、国道17号と旧中山道、埼京線と明治通りのほぼ中間に位置する御代(みよ)の台仲通り商店街。明治天皇が川越方面を眺めた高台が中山道近くにあったので、御代の台と呼ばれるようになったという。
板橋駅東口から旧中山道に出て、明治通り方面へ右へ曲る。ここは昔ながらの中小の商店が軒を連ねている滝野川銀座商店会。
200mほど歩き、龍宮飯店の角を左折すると御代の台中通り商店街に入る。
80mほど歩くと本日の目的地『うな和』の前に出る。
店内に入ると左手に調理場、右手にテーブルがひとつ。
迎えてくれた女将さんに「奥へどうぞ」と言われて奥のテーブル席へ
2つあるテーブルの手前側に腰をおろす。
外観の印象と違わず、店内の昭和の匂いが漂う良い雰囲気だ。
メニューは潔く〈鰻重〉と〈蒲焼〉のみ。
3種類ある〈鰻重〉の違いは〈竹〉と〈梅〉は蒲焼半身で〈竹〉はきも吸付、〈松〉はきも吸付の1尾付というので〈鰻重・松〉をお願いする。
栄養満点、家庭円満、滋養強壮、喜色満面…etc.
うなぎの良さを讃える言葉を見ると店主の鰻愛を感じる。
配膳された〈鰻重・竹〉の蓋を開けると何とも言えぬ懐かしい香りがする。
かつては何処の街にあったうなぎ屋さんの〈鰻重〉が蘇る。
ふっくらとろりとした蒲焼を頬張ると昭和の下町の情景が脳裏に浮かぶ。
箸上げしても身崩れしないしっかり丁寧な焼き。
椀づまには椎茸と三つ葉、柚子という〈きも吸〉も懐かしい味を出している。
今や鰻は高級食材と化してしまったが、気取らず食べられる値段と美味しさに大鰻足である。
店主の鈴木さん夫妻にお礼を言って後に少しお話をさせていただく。
鈴木さんは1944年(昭和19年)生まれの73歳。
かつて浜田山にあった鰻店で修業を積んで1969年(昭和44年)4月に『うな和』を開業して、この4月で創業満48年になるそうだ。
かつて鰻が売れすぎて活鰻の入荷が追い付かなかったこと、活鰻価格の高騰で泣く泣く値上げしたことなど、苦労話を笑顔で語れるのは、人生経験に他ならない。
他店より価格が安いことにつては
「自分がこれなら食べられるというギリギリの価格設定なんだ。家賃がかからないから何とかやっているんだよ。」
「安いからって、食べる前から何処産って聞いてくるお客さんもいるんだよ。食べた後で美味しかったって言われると嬉しいよね。」と微笑む。
現在、活鰻のサイズは4.5p~4p(220~250g)を使用している。
「小さい鰻だと厚みもないし、せっかくのご馳走が台無しになるからね。」
お客さん目線が長く営業している秘訣なのだと感じる。
洋食に例えると高級フレンチやイタリアンのレストランに対して、街の洋食屋さんとではカテゴリーの違いはあれど、それぞれの良さがあると思う。
鰻にしても然りで、名店と謳われる職人さんを大勢抱える店と家族経営の街のうなぎ屋さんもそれぞれの良さがある。
店の雰囲気、鰻の味、ご主人の話、どれをとっても『うな和』さんは、ザ・街のうなぎ屋さんだと思った。
身体も気持ちも温かくなっておいとました。