大阪に滞在していると知った名古屋の友人からLINEが入った。
「もし、時間に余裕があれば宗右衛門町の『江戸焼うなぎ 菱富』さんへ行ってみてください^^」
ちょうど、心斎橋から難波へ向かっているときのことだった。
スマホでググると
創業明治中頃。食通が、行き交う大阪・宗衛門町の一角で、以来、鰻一筋, 約120年にも
亘る歴史のもとに、関東・江戸風かば焼きを看板として、東西を問わず、関西の人々にも馴染まれてきた。古い<のれん>に培われた伝統の技と味。そして、変わらぬ暖かいおもてなしの心。
蒲焼の真価は「たれ」にある。秘伝の「たれ」は、創業以来、一度として絶やすことなく、受け継がれてきたもので、時代が目まぐるしくどう変わろうが、これからも守られていくだろう。江戸風の蒲焼は、焼く途中で、蒸し器で蒸して、タレをかけてしあげてあるので、柔らかい。江戸は武士の町だったので、腹を切るのを嫌って、タブーとされていたので、脊開きに、大阪風は、町人の町として、栄えてきたので、そんなことは、気にせず腹開きにする。
大阪は、庶民の町だから、何かにつけて「まむしでも食べよう」と、極く気軽に口にしていたが、<菱富>は、うなぎ料理を格調のある、堂々とした高級料理に仕立てあげた。その為に大阪にあって、なおも江戸風をしっかりと守り続け、関西の食通に愛され、多くの顧客に贔屓にされている。風格のある、黒塀にめぐらされた建物は、惜しくも姿をけし、平成8年に同場所に現在の店が新築され、今では、すっかり馴染まれている。たしかに、以前の店は、いかにも高級料亭という感じで、入りづらかったが、新しい店は、気軽に入り易い。
大阪・ミナミで安くて美味いと〈十銭まむし〉が庶民にもてはやされた時代に『菱富』は江戸焼うなぎを格調高きものとしてナニワの粋人に愛されていたことになる。
20世紀のはじめ〈十銭まむし〉の店として軒を連ねた『いづもや』が21世紀入りミナミから姿を消したが、『菱富』は暖簾を守り続けている。
現在の大阪の鰻専門店の半数近くが江戸焼うなぎの店である。
その先駆けとなった『菱富』には、行かねばなるまい。
ただ、自分の腹が鰻福という問題がある。
『菱富』のメニューを再び検索すると「美味しいお土産弁当、う巻も有ります!」とあるではないか。
心斎橋筋を道頓堀川に架かる戎橋の手前で曲がり、宗右衛門町通りに入る。
宗右衛門町と書かれたアーチを過ぎると『菱富』の看板が目に入る。
店内へ入って右手、帳場の下のショーウィンドウには持ち帰りメニューのサンプルがずらりと。
上は鰻弁当(ご飯一合半・鰻一串半)3,996円(税込)から下はう巻(半分四切)756円(税込)まで。
帰りの新幹線でお弁当をいただくことを想定しているので、う巻でビールを飲み、蒲焼ご飯で〆ることにしよう。
う巻入鰻弁当(ご飯一合・う巻と鰻半串)1,944円(税込)をお願いして、しばし待つ。
帳場の脇には、2階へ上がる階段がある。
2階は、少人数の会食に最適の純和風の粋な小部屋、くつろぎのひとときを演出する憩いの食空間となっており、各種会合用の広々とした座敷もあるそうだ。
次回は、大阪の繁華街とは思えない落ち着いた雰囲気で、なごやかなに鰻を堪能したいと思う。
1階は手軽に昼食などがたのしめるテーブル席になっている。
〈う巻入鰻弁当〉が出来上がり、名古屋の友人に聞いて来た旨を伝えると、菱富5代目の河村真也社長がわざわざいらしてくださった。
河村社長は、その柔和な笑顔そのままに優しいお人柄を感じる方だった。
紹介してくれた友人へ伝言を言付かり、お礼を言ってお店を辞した。
この日は、静岡県内の大雨の影響で新幹線が大幅に遅れていた。
ようやく車中の人となった頃には、お腹も丁度良く減ってきた。
赤地に白文字の『江戸焼うなぎ 菱富』の紙袋からお弁当を取り出す。
包みを開けると見目麗しい鰻様とう巻様がいらっしゃる。
蒲焼で〆る予定だったが、空腹も相まって、まず蒲焼からいただく。
スッキリとしたタレが鰻の旨みを引き立てて、冷めていても美味いっ!
続いて、ご飯をひと口すると、ご飯にも鰻の旨みが染みていて、鰻弁当ならではの美味さである。
う巻は、玉子焼きの優しさを味わうと追いかけるように鰻の美味さがやって来る。
河村社長によれば、『菱富』のタレには砂糖を使っていないという。
関東の江戸前鰻に慣れ親しんだ身としては“これぞ江戸前うなぎ”を東京へ戻る新幹線で食べるのも乙なものだ。
でも、やはりナニワ・ミナミで江戸前うなぎを食べる方がもっと乙だろう。
次回、大阪に行った際は、必ずやお店で『菱富』さんの鰻を鰻喫してきたいと思うのだった。