日本人は4000年前から鰻に狂っていた?考古学が解明したDNAの記憶
うなぎの蒲焼の香りに、なぜ私たちはこれほどまで抗えないのか。 「江戸の食文化が生んだスタミナ食」——。そんな常識は、今日から捨ててください。
実は、日本人がうなぎという「禁断の味」を知ってしまったのは、今から4000年以上も昔、**「縄文時代」**のことだったのです。
本記事では、新番組『世界一ディープなうなぎ講座』の記念すべき第1回「縄文うなぎミステリー」の内容をベースに、浜松で発見された衝撃の事実と、私たちのDNAに刻まれた「うなぎ愛」の正体に迫ります。
【動画で学ぶ】縄文うなぎミステリー
浜松・蜆塚遺跡で見つかった「4000年前の衝撃」
うなぎの本場といえば静岡県浜松市。しかし、その「本場」としての歴史が、これほどまで古いと予想した人はいたでしょうか。
これまでの歴史学では、うなぎが一般に普及したのは江戸時代と考えられてきました。しかし、浜松市にある**「蜆塚(しじみづか)遺跡」**の研究によって、その定説が根底から覆されました。
歴史上初めて「証拠」が見つかった瞬間
縄文時代後期の貝塚から、なんと「ウナギの骨」が発見されたのです。 「本場・浜松でこれほど古い証拠が見つかったのは、歴史上初めてのこと」と言っても過言ではありません。4000年前の浜松市民は、すでに現代の私たちと同じように、浜名湖の恵みであるうなぎを食していたのです。
静岡、千葉、茨城——。すでに列島を席巻していた「うなぎ愛」
うなぎを愛していたのは浜松の人々だけではありませんでした。
発掘調査が進むにつれ、日本各地の縄文遺跡から次々とうなぎの痕跡が見つかっています。
- 千葉県:加曽利貝塚、三輪野山遺跡
- 茨城県:陸平遺跡など霞ヶ浦周辺の遺跡
驚くべきことに、縄文時代の日本列島の住人たちは、すでに「うなぎ」という魚の驚異的な旨さに気づいていました。
縄文人はどう食べていたのか?
当時はタレも串もありません。うなぎをぶつ切りにして土器で煮込んだ「うなぎスープ」や、直火で炙った「塩焼き」のようなスタイルだったと考えられます。 一度その脂の甘みと滋味深さを知ってしまった彼らは、もう「引き返せなかった」のでしょう。
日本人のDNAに刻まれた「禁断の味」
なぜ、私たちはうなぎを食べると、これほどまでに深い満足感を覚えるのか。 それは、単なる嗜好を超えた**「DNAの記憶」**なのかもしれません。
4000年前から絶えることなく続いてきた「うなぎを獲り、調理し、分かち合う」という行為。その記憶が、私たちの血の中に静かに流れているのです。
うなぎの蒲焼の煙に誘われてしまうのは、あなたが食いしん坊だからではありません。縄文時代から続く日本人の本能が、その香りに反応しているのです。
参考文献
- 浜松市 蜆塚遺跡 発掘調査報告書
- 日本考古学協会 発表資料



