東海道五十三次の8番目の宿場町として栄えた大磯で、徳川11代将軍・家斉公の御代・享和3年、旅籠の國吉屋として創業した大磯 國よし。
幕末から明治に入ったころ、うなぎ専門店へと移行したそうです。当時は、秋になると近くの相模川で捕れる下りうなぎが評判を呼んだといいます。
温暖な気候により保養地として注目された大磯は、陸軍軍医総監松本良順により海水浴場として開かれたのが、日本初の海水浴場と言われています。(諸説あり)
1887年(明治20年)に大磯駅が開業すると、駅前の高台に要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられました。特に伊藤博文、吉田茂のそれは特に有名で、彼らが國よしを贔屓にしました。
JR東海道本線・大磯駅から徒歩10分。国道1号線沿いに建つ國よしは、歴史と趣きを感じさせます。
玄関の引き戸を開けると、芳ばしいうなぎの香りとともに、古き良き時代にタイムスリップした感覚になり、奥の壁に掲げられた電話 大磯 四二三番 の文字に刻まれた歴史の重みを感じます。
今日は1階奥のこちらのお席で老舗の味を鰻喫させていただきます。
お品書きの表紙には、國よしのこだわりが書いてあります。
使用しているうなぎは、ブランド名は書かれていませんが、無投薬の良質の餌を与えた周年養殖うなぎのようです。調味料も無添加のものを使い、紀州備長炭で焼き上げているとのことです。
お昼限定の〈鰻重〉を予約の時に頼んでおきました。一品料理は、追加で注文できるというので〈きも焼き〉をお願いすると「1串だけならございます」
もちろんお願いしました。残り物には福があるといいますからね。
きも焼き
なんという美しいきも焼きでしょう。芸術の域に達したようなきも焼きです。
雑味は一切なく、ほろ苦さとまろやかな風味だけを残し、秘伝のタレのほのかな甘みとの調和。美味しさと美味しさを兼ね備えた極上の逸品です。
鰻重
鰻重は、代々受けえ継がれている丸重で提供されます。器は全て輪島塗で、輪島塗漆器の老舗専門店・田谷漆器店の漆器だそうです。
田谷漆器店のある石川県輪島市も今年1月に発生した能登半島地震で大きな被害を受けています。この美しい輪島塗の漆器を見詰めていると、被災地の復興と日本の大切な伝統工芸の継承を願わずにはいられません。
お重の蓋を開けると芳ばしい香りが鼻孔をくすぐります。
きもは、きも焼きに使用するために、お椀はしんじょのお吸い物です。
肉厚なうなぎ様が重ってのっているお姿に圧倒されます。
甘さを抑えたキリっとしたタレを纏う蒲焼は、口の中でとろけてうまぎの旨みを存分に堪能させてくれます。粒が立ち、甘みのあるご飯も美味しく、蒲焼との相性は抜群です。
甘味
甘味は、女将さんの手による豆乳ブラマンジェ。
女将さんは、フランス洋菓子の勉強をされていたそうです。
ヘルシーな豆乳ブラマンジェの滑らかな舌触りと濃厚な黒糖シロップとの出逢いは、上品でありながら、どこか懐かしさを感じます。
香り高いほうじ茶が、口福な時間を感慨に浸れせてくれました。
創業して220年余り。その歴史は平坦ではなかったと思います。
江戸時代までの大磯は、東海道の宿場として繁栄していましたが、明治維新とともに宿場の機能を失い、経済が閉塞した影響も受けたことでしょう。
太平洋戦争末期には、隣の平塚とともに大磯町は、空襲による被害も受けています。
平成に入ってからは、バブル崩壊後の不景気やシラスウナギの不漁による活鰻の価格上昇の影響も少なくないと思います。
器から素材に至るまで厳選した本物志向を守り続けている國よし。どれをとっても後世に残したいと思わずにはいられません。